あなたの命もわたしの命も
小動物の命も
虫の命も
植物の命も
すべて掛け替えのない命です。
そして皆、
神聖で
尊くて
大切な存在です。
私達の意識も
この世の社会の在り方も
宇宙の真理である「愛」から
かけ離れている意識で
9割つくられてきました。
私達は「愛」を欲しながらも
「愛」を自分に対して
そして人に対して
手向けることが下手です。
愛を表現したり
伝えることがとっても下手です。
素直に気持ちを伝えると
バカにされたり
するのではないかと
恐れを抱いたり
不安になったりします。
恐れたり
不安になる必要なんて本当はないのに。
しかし、
隷属化や比較や競争が未だある
今の社会で生きていくのは
とてもハード。
日本人である私達も
随分、西洋化してしまって
本来、持って継がれてきたものを
認識する機会を失い
いのちの大切さや
こころとカラダの扱い方
自然との対話や共存することなど
教えてもらわずに生きている。
人として生きていて
人とは一体何なのか・・・
それすら知らないで
生きているのが現実です。
私達が一番、
嬉しいことって何でしょうか?
愛し合うことだったり
ありがとうと伝え合ったり
自分自身の存在も相手の存在も
大切にし合うことではないでしょうか。
逆に嫌なこととは
無視し合ったり
傷つけ合ったり
否定し合うことではありませんか?
なんで
そんなことを続けているんだろうか・・・
傷つけ合って何の得にもならないし
比較し合っても空しいだけです。
そのままで
ありのままで
充分なのに。
それをされて
悲しいと思わない人って
本当のところいないと思います。
「そう思うのは人の勝手でしょ?」
「そんなことはあるよ日常茶飯事に」
そう言われたら
そう思うのが世の常でした。
でも思い出してください
子どもの時の気持ちを。
大人になったって
言われて嬉しいとは
思えないと思います。
(大人って何?
いつから大人になった?
物事を分かったフリして
都合よく妥協するのが大人なら
子供たちは大人になりたくないでしょう)
大人である前に
私達は生まれた時から
ひとりの人間です。
人を傷つける言葉が
普通に飛び交う
むしろその方が多いこの世の中は
おかしいことだらけです。
もし、この世の人口が
とっても少なくて
お互いに協力しないと
生きて行かないとならない状況だったら
どうでしょうか。
そんなことしていたら
生きていけないでしょう。
存在や人格をそのものを否定する必要はなくて
行いや在り方について好ましくないと
伝えて解決していけばいいのでは?
と思うのです。
互いを活かし合う
互いを尊重し合う
ちょうどいい距離で付き合う
時に冷静に
時に寄り添う
現代の生き方は
不安や恐れが多すぎて生き辛いですね。
不安や恐れは
思考を停止させて
行動を妨げます。
生きるエネルギーを
削いでしまうのです。
恐れるより
自分の生きる力を信じて
思いを強く持って
心や身体をはじめ
この地球で
生かされていることに感謝する
今という瞬間を大切に生きる
そう
自分の想いを大切にして
ひたむきに行動して
自分の器を愛と歓びで満たすことから
始めましょう。
自分の器を満たせて
自分の機嫌を自分で取れて
はじめて相手に優しくできるもの。
私達の社会は
自分を満たす第一段階を飛ばして
第二段階へと進もうとするからおかしくなるのです。
人の期待や言葉は
無責任なものです。
そして
単純なものです。
大事なのは
まず自分が
自分自身を
枠に当て嵌めてジャッジせずに
受け容れて
自分がどう思い
どう在りたいのか。
正解や不正解は
ひとぞれぞれ。
もっと大きな範囲で言えば
正解も不正解もない。
快く感じるのか
不快に感じるのか
自然なのか
不自然なのか
どうか。
自分の気持ちを
良く知ることからなのです。
自己の素直な気持ちを無視する
=人にも同じことをする
だから
痛々しい言葉が行き交うのです。
おかしなことは
自分からやめましょう。
あなた自身の放つエネルギー自体も変わり、
生きやすく感じることでしょう。
そうすれば
周りの反応も変わります。
波紋のように連鎖していきます。
同じ価値観の人が集まってくるでしょう。
「自ら現実を変える」
これが
この世を変える第一歩になるのです。
あなたも私も
この世を創造する存在であり
ひとりです。