もう、効率と作業の日々も
自動的に「ない」に目を向けさせられる
隷属的な誘導はもう必要ない。
比較・競争・劣等感・優越感もいらない。
毎日がただただ、
消化試合をしている日々もいらない。
本来、日本人である私達は
「ある」ということに
眼が向いていた民族だった。
家族とか関係なく
周りの人を家族同様に大切にしていた。
何故それができるかというと
まず自分自身の素直な気持ちに従って
自分自身を歓びで満たしていたからだ。
みんな凸凹で持っているものが
人それぞれ違って
それを持ち寄ることで
互いを支え合うことをよく知っていた。
それが素晴らしいことだということも感じていた。
道に転がっている石にも
虫とも
植物とも
空とも
話せた。
自然が神様だということも
よーーーく知っていたから。
生かされている存在だということも
知っていた。
それを証明しているのは
私達の母国語である日本語そのものに顕れている。
ありがとう
いただきます
ごちそうさまでした
私達の中に流れているDNAにも刻まれている。
そして習慣にもたくさん散りばめられている。
私達日本人は
どう生きたいかを
過ごしたいかをイメージして
それを実現してきた民族であり
その力を自然に使える民族。
高次元の生き方を私達は
潜在的に知っているし
カラダに刻まれている。
混沌と感じる未来。
それはひとつのトラップでもあり、
ひとりひとりの潜在下にある意識の炙り出しの
現実化に過ぎない。
もう自己卑下も
「ない」に基づく思考に縛られる必要もない。
それは単なる妄想にすぎない。
この世は
ある意味、仮想現実の世界。
思考とイメージが現実化する世界。
あなたの現実も
私の現実も
思い込みから実現している。
そう思ったから
行動した
言葉に発した
だから現実になった。
もうすぐひとつの時代の終焉を迎える。
終焉は始まりを意味する。
今することは
素直な気持ちに従って
自分がこの地球で
どういう未来を生きたいのか想像して
ひとつひとつ行動して創造していくことだ。
それが
新しい地球への道になる。