自分自身を知るために
人は魂を磨く目的を満たすために誕生した時から「変容」と「真化」を繰り返しながら生きています。
魂を磨くというのは神聖なる存在であることを想い出し、純度を上げて帰還するということであると当サロンは定義しています。そして私達には「自由意思」があり、私達ひとりひとり自ら望む人生を描き、創造することができます。
しかし、それをあらためてどのくらいの人が意識して生きているでしょうか。
日常に流されて、既成概念の中であまり疑問を抱かずに生きている人が殆どです。 それもひとつの選択肢であり自由意思に変わりありませんが、どのくらいの人が自分自身の本当の気持ちを理解して自己表現しているでしょうか。人の目や体裁を気にして、他人軸で生きている人がどれだけ多いことか。「頭ではわかっているけれども実際に行動に移せない」「批判されるのが怖い」「みんなと違うのは不安」「現実を観るのが怖い」という気持ちに自ら制限を掛けてしまう傾向は後を絶ちません。人はもともと生きるテーマをそれぞれに持って地球に転生してきています。その人にしかないものを持って。それを子供の頃は感覚的に知っていたはずなのにいつの間にか自ら手放してしまったのではないでしょうか。
人生には必ずいくつかの転機が訪れます。
■自分が何者であるのか。
■何を求め、何を探し続けているのだろうか。
■自分の本当の姿とは心とは何か。
それを見つめなおす時間が訪れます。
その転機を逃さずにその疑問に対してのアンサーを見つけていくことで“自己探求”の道が開かれていきます。「自分に対して意識的に生きる」これが自己探求のスタートでもあり自分に目覚めていく始まりです。始まると様々な人との出会いが必然的に宇宙から用意され、その中でいろんな自分が引き出されていきます。ポジティブな自分、ネガティブな自分、ユニークな自分、クリエイティブな自分・・・そして必ず自分自身が抱える「カルマ」も表出します(カルマについては、次項で詳しく説明を記載していますので、ここでは敢えて割愛します)。そのカルマを通じて自分自身をこれまで以上に深く見つめなおすことができ、深く深く自分自身を知るのです。時に客観的に見つめ、時に主観的に捉え、多角的に自分を見つめて現実と照らし合わせて在りたい自分に近づけているか、それとも遠のくのか・・・どんな自分もありのままに受け入れることができるのか・・・その繰り返しで真の自分自身が顔を覗かせてきます。どんどん不要なものが削ぎ落とされてシンプルになると自分の本当の気持ちが明確になり、これまで躊躇していた自分の意思を率直に伝え、その行動から自信をもち、そしてありのままの自分自身を愛し、表現することがどれだけ素晴らしいことなのか頭ではなくハートで感じられることでしょう。
すべては自分次第
結局は人でなくてすべては自分次第。
自分自身の心の世界が外に映し出されているだけであったことに気づくのです。そして自分の世界を広げ、変えられるということを自ら実証していくとそれを味わった者でしか得られない世界が広がっていきます。人には自由意思があり、自由意思には自己責任が伴い、すべては自分次第。それを理解し具現化してやっと「自律した在り方」、「自己に目覚めた在り方」と言えます。そして自分自身に目覚めたら次のステップとして高校から大学に進学するようにミクロという自分自身からマクロという世の中全体を見つめる段階へと入っていきます。私達、ひとりひとりの意識は個々のものであって、実は全体的に繋がっており、「集合意識」として世の中を常に動かし創造し続けています。社会的に起きている現象や事象はリアルタイムに自らの内側にある意識の中で起きていることとリンクしています。決して他人事ではなく、切り離して考えることは不可能なのです。
あなたもそのひとり
既にこの世は「魂の時代」に入っています。その証拠に大自然から「異常気象」や「災害」を通じて意識の目覚めを促されているのも事実です。真の魂の進化(真化)と淘汰が始まっています。自ら目覚めた人々の意思により地球クリエイションは成されるのです。