SAKURAI YUKI SPIRITUAL LABO

こころが楽になる生き方

人は愛を感じないものに
憤りや寂しさ、
悲しみを感じるものだ。


血の通わない
心の通わない
温度の感じない



愛のない言葉に
愛のない行為に
愛のない素振りに。



競争したり
奪い合ったり
差別したり
対立するという
差を生み出すことが
本当に望みなのだろうか。



不都合な現実を目の当たりにして
眼を瞑り、見ない振りをすれば
それで解決するのだろうか。



そんな世の中だから
そんな生き方だから
故に負の連鎖は断ち切れず
苦しみが多いのではないだろうか。



人は愛を感じ、
明るく
自由で
発想豊かなものに
心惹かれる。




何故ならば
無限なる広がりを感じるからだ。




もし迷ったら
未来が描けて
可能性が無限に広がる方を選んでごらん。




躊躇わずに
自分自身が幸せになることを
選んでごらん。




自分だけ幸せになっていいのかと
罪悪感などもたなくていい。




幸せにできるのは
皆、自分しかいないのだから。



迷ったら「愛」という目で
よく現実を俯瞰してごらん。


答えはいつも内にあって
ヒントとなるメッセージは
絶妙なタイミングで
あなたへ届けられている。



それを
あなたがどう受け取るのかが
カギとなる。



自分でよく考え
結論に達したのなら
あとはそれを形にするために
行動するのみである。



自分で決めたことならば
納得がいくだろう。



もし
それが違うと思えば
志の原点に戻ればいいのであって




経験したことから
多くを学んで
納得いくまで
何度でもトライすればよいのだ。



私達は生まれてくる前に
自分自身の魂を磨くために
この地球でどのような経験を積もうかと
計画を立ててやってきた仲間同士である。



皆、
それぞれの目的と計画で動いている。
そこに「差」をつける必要はない。



「差」を生めば苦しむ。
ならば「差」をとれば
この世は感謝することだらけだと
気づくだろう。



差をとること
つまり「さとり(悟り)」を意味する。



差をつけているのは
人間だけであって、



この世に存在する万物に
はじめから差などないのだから。




何故ならば
皆、神の分御霊であり、
愛されている存在だからである。




たとえ
相手には容易にできることでも
自分には難しいと感じることが
あるのならば
劣等感を持つ必要はなく、
こう考えればいい。



相手は魂の転生を繰り返す中で
散々、出来るように努力して
磨いてきたのだろう。


そして
自分にとっては初めてのことだから
得意な相手に教えてもらえばいいのだと。




もし自分にとって
特に必要性のないことであれば
得意とする相手に委ねて
自分が得意なことを提供すればいい。





″好きこそものの上手なかれ”




人は時間の経過を忘れ
没頭している時程、
意識は多次元を旅しているもの。




そのような状態から
神業と称されるものが
生み出される。




大切なのは
如何に他者ではなく
自分自身と向き合えるのかどうかだ。



自らを高め
努力を惜しまず
楽しみ
素直に生きる



平和と安寧を願うのであれば
自分を裁く「差」から
自分自身を解放しよう。



そうすれば
本来持つ
心の豊かさに気づくことだろう。




今、体験していることは
心の澱を削ぎ落し、
内にある光を見出す
「悟り」という作業に過ぎない。




差を自ら持つから
苦しくなるのであって



それを手放せば楽になる。




恐れは自ら作った幻であり、
本来、失うものなどない。




何故なら
はじめから私達は
必要なものをすべて
持ち合わせて生まれてきているのだから。




差をとれば
魂の本来の姿が現れる。




その瞬間、
生まれた時のように
眼に映る世界がまばゆく見えることだろう。

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